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野村克也氏追悼。阪神ファンからも愛されたノムさんの阪神への愛ある(?)ぼやきと野村語録

どうも、たつとら(@tatsutora6) です。

 

「えっ、ホントに? 最近テレビでも見たのに…」
第一声はこれだったかもしれない。

 

先日、名選手であり、名監督でもあった野村克也氏がお亡くなりになりました(享年84歳)

www.nikkansports.com

 

年齢的には早くないと思われますが、つい最近まで金田正一氏の葬儀や「オープンハウスpresentsSwallowsDREAMGAME」での姿を見ていたので、正直、ビックリしました。

 

心よりご冥福を申し上げます。


野村克也氏と言えば、南海の選手時代の三冠王や、ヤクルト監督時代の日本一、田中将大(マー君)選手を育てた楽天時代と名選手・名監督として記憶に残っていると思われますが、やはり阪神ファンといったら阪神の監督時代、あの暗黒時代の監督という印象が強いと思います。

 

就任当初、ボクも阪神の生え抜きではない外部(外様)の人を招聘し、それも低迷していたヤクルトを日本一に導いた名監督だったので、暗黒時代から抜け出すために、やっと阪神も本腰を入れて監督を選んだと期待を抱きました。


ただ、野村監督でも暗黒時代の阪神の成績を上向かせる事はできませんでしたが、F1セブンや新庄選手の二刀流、葛西投手や遠山投手をワンポイントでファーストの守備につかせるなど、記録(不名誉な記録はありますが...)よりも記憶に残るチームを作り、後任の星野監督がチームをリーグ優勝を導くという、そのチームの礎をつくった立役者だとも言えます。

 

野村監督がいたからこそ阪神の暗黒時代を抜け出せる事ができたと言っても過言ではないでしょう。


3年連続最下位だったけれども、野村監督が退任するときは惜しんだ記憶もあります。


そんな阪神ファンからも愛された野村克也氏でしたが、ノムさんといったらぼやきや野村語録。

 


主観ですが、心に残った阪神関連のぼやきや野村語録を集めてみました。

 

・組織に「中心」がいないときは、外から連れてくるしかない

広島から阪神に移籍した金本知憲が好例。金本の加入は「中心」のなかったタイガースとい う組織に「中心」をもたらした。どんな状態でも試合を休まない金本が入ってきたことで、他の選手たちも甘えが許されなくなった。

 

・これは不滅だろ。オレにお似合いの記録やな。名を残す。汚名

2008年6月18日の阪神戦で黒星。監督通算最多敗戦となる1454敗目を記録した。弱小球団を率いて再建してきた名将の”勲章”でもある。

 

・組織を変えるためには、まずリーダーが変わらなければならない

阪神監督2年目のオールスター期間中、久万俊二郎オーナー(当時)に対し、クビを覚悟で球団の心臓である編成部の改革を迫った。野村の退団後、阪神は金本知憲や伊良部秀輝、下柳剛らをFAで獲得したほか、ドラフトでも有力選手を積極的に狙いに行くようになった。それらはオーナーの意識が変わったことでもたらされたものだと、野村は確信している。

 

・月見草から向日葵になって人生が狂った

常に弱小球団、注目度の低い球団で監督をしてきた野村が、注目度や人気が抜群に高い阪神の監督に就任したことで味わったこと。 

 

・高知の安芸でキャンプをやったんだけど、ミーティングで話をしても、ちゃんと聞いているのは2、3人だけ。あとは、時計ばかり見ている(苦笑)。『そんな理屈はいいよ、早く終われよ』とばかりにね。

ミーティングで時計ばかり気にしているんだよ。阪神は、こういうところから改革しないと絶対に強くならないと思った。人気と伝統に任せているだけだからね。でも、改革はできなかった。野球観も合わなかったし、ハッキリ言って阪神に行ったの、俺の野球人生で大失敗だったよ

 

・“足が速い”というところから野球せい!

阪神監督時代、赤星が新人で入って来た時の話です。彼は最初、ホームランバッターのようなバットを持っており、俊足を生かす打撃をしていなかった。だから私は「“足が速い”というところから野球せい!」と言い続けました。とにかく、三遊間に転がして走れ。セーフティーバントを転がして走れと。その結果、内野安打が多くなり、出塁率が高くなった。赤星は自分の特長で、チームに貢献できることになりました

 

・45年間鉄砲肩を見ているが、並外れた強肩。大変な才能、万能選手だよ

野村監督と新庄選手は野村監督が阪神監督に就任した99年から2年間、監督と選手としてタテジマのシンボルとしてともに戦った。4番に抜てきするなど、新庄の素質を高く買っていた。一番有名なのは投手との「二刀流」に挑戦させたこと。

 

・おれが(阪神を)辞めるときに、『星野しかいない。100%来ます』と(推薦した)。星野は知ってるのかな? おれが推薦したのを

2001年まで、野村が阪神タイガースの監督を3年間務めた後、その後任として星野が監督へ就任。2003年にはリーグ優勝を果たした。そして、野村が阪神を去る際、後任に推薦したのが星野だった。

 

・矢野はなんせマジメだ。マジメすぎるのもよくない。特に監督としてはちょっと物足りなさが残るね。過去の名監督と言われる人はみんな適度に悪いよ(笑)。

何でも〝遊び〟が大事じゃない? どこかに息抜きどころや逃げ道がちょっとくらいはないとね。マスコミへの対策もあまりうまいほうじゃないだろうし。

 

・勝って万歳ならOK。うれしいのは分かるけど、試合が終わるまで我慢してほしいね

試合中に感情を表に出す方針の矢野監督には、愛のある“ぼやき”も送った。

 

・4球団の監督をやったが、阪神ほど居心地の悪い球団はなかった。大後悔! やらなきゃ良かった

阪神タイガースのお膝元でもある兵庫・尼崎で、現在の阪神について問われると

 

 と挙げましたが、他にも沢山あるし、ちょっと阪神にとっては厳しい言葉もありますが、全て阪神タイガースの事を想っての言葉だと受け止めたい。


ノムさんにとって、阪神監督時代は良い記憶ではなかったかもしれませんが、一ファンとしては当時はテレビで巨人戦しか見ることができず弱くてもいつも楽しみにしていた記憶があります。

 

当時は何か1勝1勝が非常に重みのある1勝でしたね。

今になってよみがえってきますが...

 

今年のプロ野球の監督は、実に野村監督の教え子が6人もいます。

  • 阪神 矢野監督
  • 中日 与田監督
  • ヤクルト 高津監督
  • 西武 辻監督
  • 楽天 三木監督
  • 日本ハム 栗山監督

 

その教え子達が今年のプロ野球界をきっと盛り上げてくれるに違いないと思います。

 

野村監督もきっと上でぼやいたり、的確な解説をしながら見守ってくれることでしょう。

 

 

 

  

 

 

 

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